あの子は海の匂いがする

黙ることを覚えます

0624

幸せになりたい、辛いことはいらない、ただ誰かに傍にいてほしい、幸せになりたい、幸せになりたい、幸せになりたい。

 

バイトに話したい人はいない、一緒に仕事したい人もいない。だからやめた。左手に擦り傷。血が滲んでいたから、絆創膏を1枚取るふりして3枚、もらって帰った。傷口に貼ったけど、お風呂に入ったら剥がれて排水口に詰まった。よく知らないバイト先のおばさんから貰ったお菓子。餞別だか必要最低限のマナーだか何だか知らないけど、あんまり、美味しくなさそうだ。適当に振り撒いて消費しよう。

 

帰路をたどって玄関を開けたら、叔母は飲んだくれていた。ヒステリック、月に何度かある。ぽろぽろ泣きながら私に愚痴ったり、詰問したり、その様はとても愚かで、人間らしいな、と冷静な自分。結論はいつも私が悪いから、自分で全て責任負いますから、あなたが悪いようにはしませんから。何度も取り交わされる口約束。17歳の肩に降り積もる重責。身動きが取れない。だんだんと自由が何だか分からなくなる。はじめから自由では無かったけれど、小さい頃はきっと今より少しだけ自由だったに違いない。

 

 

学校に行かなきゃいけないのは、先生とか親とか友達とか、その中の誰よりも分かっていて、それでも身体が重いのは、.....何でだろう。別に何も嫌じゃない。文句はない。ただ、それと同じくらいやりがいがない。自分に負担をかけて、絶対に学校に行かなきゃいけない日が少しでも増えるようにと、そうすればいつの間にか習慣づいて、勝手に身体が学校に向かうようになるんだと、そう思ってしてきた行動が全て裏目に出ている。その全てが今の私には重くて重くて、耐え切れない。

 

ずっと考えを巡らせても、行き着く所は大体決まっている。要は全て、底の見えない承認欲求の為せる技なのだ。私はずっと誰かに肯定されたくて、認められたくて、褒められたくて、全ての行動を起こしている。時としてそれは自分のためになることもあるが、大半はただただ自分の首を絞める行為となる。苦しいと思いつつも、その行為をやめようとは思わない。自分が頑張っていることを知っている人がどこかに必ずいて、そしていつか、私を肯定してくれるはずだと、真綿のような期待で更に首を絞める。こんなことではいつか死ぬ。あらゆる生物はいつか必ず死ぬけれど、こんなことを繰り返していては、私はそのいつかを早めるだけだ。

 

解決策は一つだけある。それは単に、母親に肯定されることである。それさえ成されれば、私は自信をなくすことはないだろうし、この尽きることない承認欲求にも終わりがやって来るのだと思う。ただそれが実る日は来るのか?と言われれば、もちろんそんなものは当分、いや、もう来ないかもしれない。隔絶されてしまった親子の関係はそう簡単に修復されないし、今後の人生でかかわり合いを持つことは出来るなら最低限にしたい。母と私の間に親子の縁はあってないようなものなのに、それなのにあるものとして扱う母が、その周囲が、忌々しくて気が狂いそうになる。憎むべきはこんな風になるまで放ったらかしにした挙句、会えばひたすらに叱責し、人格否定をことごとく行う母親であるというのに。こんなことを続ければ一体どうなるかくらいは想像つかなかったのだろうか、と思わざるを得ないが、娘が浅ましいのであれば、親もまた浅ましいのだと思う。

 

 

 

死にたいとまでは言わない。

ただどうか手放してほしい。

私をありとあらゆるしがらみから解放してほしい。

その上でなければ私は、いつまでも中途半端なままの17歳なのだから、何を生み出したところでそこに意味は、さしてない。